うゐぬのにっき

ネガティブなういぬの日記

時代

ふと思ったことがあるんです。

私はこれまでうごメモで活動してきました。

うごメモは正直言うと年齢層は低いし、治安もあんまり良くないし、クオリティも他のところに比べると衰えています。

DSなのでしょうがないことが多々あります。

そのせいか年齢を重ねるごとにやめる人が増えていきました。

私も投稿数は徐々に減っていきました。

そんな時うごメモが終了する話がでました。

あっけないと思いました。

私はそろそろ辞め時だと思っていたのでちょうどいいと思いました。

最後まで楽しんで感謝しようなんていいました。

しかし色々始めて気が付きました。

私はうごメモの友達に支えられていたことを他の場所で思い出しました。

このブログでもです。

うごメモで友達がたくさん出来て評価をもらうことが当たり前になっていました。

しかし他の場所にいると評価どころが閲覧数すら低いです。

慣れればきっと他の場所でも評価がもらえるでしょうが、なんとなく自分の無力さに気が付きました。

同時にうごメモがなくなるさみしさが込み上げてきました。

実家がなくなったような気分になりました。

大袈裟かもしれません。

でも受け入れてくれるうごメモはまさにそんなかんじなのです。

どこかで失敗しても帰る場所がなくなる不安が今更出てきました。

こんなこと言っても数年後にはアナログ放送からデジタル放送になったように、生活に馴染んでそんなことは微塵も感じなくなるのでしょう。

実はデジタル放送に少し抵抗がありました。

今では違和感を全く感じなくなってしまいました。

そのようなものなのでしょう。

時代は常に流れています。

ものは常に変わり続けています。

追いつくのが大変です。

うごメモにたいする気持ちを忘れたくないですが、私のことですからきっと忘れてしまうでしょう。

現に忘れていたではないですか。

だからここに書いておくことにしました。

このブログいつのまでとっておけるのか分かりませんが、数か月後にはもう読み返して赤面するでしょう。

未来の自分に大変申し訳ない。

そんな自分を想像してにんまりする自分が過去にいたことをなんとなくでいいから覚えておいてください。